バキッと折れた右足の脛の骨と、混乱する頭。
競技用トランポリンで宙返りを連続でしていた最中に、折れてしまった右脚の骨。
少し動いただけでも、骨がボキボキと鳴り、尋常ではない痛みが生じたため、そこからは全く動くことができず、永遠にも感じられた20~30分間。
すでに時間の概念も飛び越えてただただ痛みに耐えるのみでした。
家族で行った今回のトランポリン施設は、競技用トランポリンが建物奥に4面設置されており、その全てのトランポリンがほぼ、隣接するように設置されていました。
そして、私が跳躍していた場所は一番奥手の面だったため、救急隊が駆けつけた時に「これ、どうやって搬送する?」という相談から始まるのでした。
搬送、移動時に充分な安全を確保できない。
4面が隣接する競技用トランポリン。一番奥の面ということは、移動する際に、ほかのトランポリンの上を歩かなければならず、これは救急隊の方でもやはり危ないということで、搬送ルートの確認が始まりました。
僕が、這って動ければよかったのですが、動ける気配は全くなし。
痛みを少しでも和らげようと、膝と足首を持ちながら、ひたすら引っ張って耐えるという行為しかできません。
そのうち、救急隊の方も意を決したように、揺れを承知で、トランポリン上に乗り、ストレッチャーに転がし込むように移動をさせてもらいました。
揺れと、ストレッチャー上への移動時、痛みがピークへと達しました。いかんせん、少し動いただけでも、まだ骨が折れるような音が体中を駆けめぐるという状態です。
そしてそのまま、隣接するトランポリンの上を搬送してもらったのですが、やはりすごく揺れて、痛みもしっかりと揺れを通じて体中に広がるような感覚でした。
「これは、かなりひどい骨折をしてしまったのではないか」という恐怖感も襲ってきて、目の前が真っ暗になるという言葉がそのまま当てはまる状態となりました。
兎に角、搬送ルートを悩む救急隊の方
ストレッチャーに乗ったあと、浮き沈みするトランポリンの床面を通り越しはしたものの、トランポリンを設置している床面は、通常の床よりも上がった状態にあるため、出入り口に下がるまでに、急な階段を降りなければなりません。
ストレッチャーの頭側と足側を運ぶ方の角度的にも、危険を伴いそうな急階段だったため、階段からおろすことも不可能だね。という話になっていました。
トランポリンが設置されている床面は、足元から測って1.5メートルほどありました。
ただ、幸いなことに、トランポリンからの落下防止用ネットを避けると、そこから下におろせるスペースを発見したため、救急隊の方一人がストレッチャーを押して滑らせて、残り二人が下で受け取るという手法がとれました。
この程度の相談でおろせる場所を発見できたのは、いま考えればまだよかったと思われました。もし、これが山中であったり、タンカや、ストレッチャーでの搬送が不可能な場所であったならば、誰かの背におぶされたり、肩を担いで自立しなければならなかったと思います。
そしてそれは、すでにこの世の地獄と思われるような激しい痛みを味わっていたにもかかわらず、それ以上の痛みを伴っていたということも想像に難くありません。
人生で三度目の救急車乗車
その後、私は救急車に運び込まれました。
通常であれば、そこには同乗者として妻が乗っていたと思うのですが、そこは自宅から車で1時間以上もかかる距離の場所にあるトランポリン施設だったため、自家用車を置いていくことは選択肢になく、同乗するのは、中学2年の娘となりました。
これが私の、人生で三度目の救急車乗車となりました。
一度目は、中学二年の時、体操部の部活中、順手で車輪(大車輪といわれることが多いかもしれません)を回っている最中に、左手の橈骨と尺骨を骨折してしまい、搬送。
二度目は、今回同乗してくれた娘が幼少のころ、ひどい腹痛を訴え、トイレに駆け込むもトイレではないと泣き叫び、普段痛みを全く訴えない娘だったため、急性の炎症が生じたのかと、救急車を呼び、搬送されたときに同乗したということがありました。
奇しくも、三回目は娘と僕の立場は逆になりました。
僕と娘が救急車に乗車する前後に、救急隊の方が妻に「搬送先が決まったら連絡します」ということを説明したうえで、連絡先を確認しつつ、他の救急隊の方が搬送先の病院に連絡をして、救急車のサイレンが鳴り、走行を開始しました。
父親が骨折する瞬間をみてしまい、ショックを隠し切れない娘は口も利くことができず、そこからもずっと無表情ながらも、心配しているであろう状態でそばについてくれていました。
赤信号を進む際に、スピードを落とすものの、 一度も止まることなく、走り続ける救急車。
順調に走行を続けているという認識があったのですが、救急隊の方が、到着まで20分くらいだということをおっしゃっていたにもかかわらず、救急車が到着するまでに40分くらいを要していたと思います。
後で妻に聞いたところ、自宅に近い市立病院への搬送をお願いしたそうですが、市を越境していたためか、それは叶わなかったものの、ありがたいことに、自宅から割と近い整形外科に搬送してもらったというご配慮をいただいたようでした。
自宅からは、空いていれば車で15~20分くらいの距離にあるため、妻には毎日のように、面会に来てもらえる環境に感謝をしました。
これで痛みに耐える状態から解放されればいいなという淡い期待をするも、救急に運ばれたあと、まだまだ我慢する時間帯が続くのでありました。