右脚脛骨(けいこつ)・腓骨(ひこつ)複雑骨折との診断で初入院へ
パラマウントベッドで、寝たきり状態になりました。
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救急で整形外科に運び込まれた私、そして入院へ

トランポリンで連続宙返りをし、着地の衝撃で骨折。
施設のお姉さんが携帯で救急車を呼んでくれて、救急車が走ること40分。
自宅とは隣の市であったけれど、極力、居住の市から近くの救急対応をする整形外科へ搬送されました。

救急対応の窓口で、レントゲン撮影をすると、かなり複雑な骨折であったらしく、CT撮影をも行わなければならなくなったということでした。
結局救急対応の場所には、1時間~2時間ほど転がされて、それから入院と相成りました。

レントゲン撮影後の、医師の対応許すまじ・・・

レントゲン撮影を行い、入院という話が出る前後、レントゲン写真をみた医師が、救急で運び込まれて、天井をぼーっと見つめるだけの私のところに来て、少し私の足を見て、思案顔をした後で、ふと私の脚に触れてきました。

「こっち向きでいるより、こっちに向かせておいた方が痛みが引くんじゃない?」という言葉とともに、おもむろに脚をもった瞬間、ピーク時の半分ほどに落ち着いてはずの痛みが、ボキボキと鳴る音とともに、また、ピーク時の痛みを引き連れてやってきました。

「何してくれてんだこのおっさん!!!!」と心の中で叫び、口からは「痛い!!!」というセリフが出てきました。
私の脚を動かしたことにより生じた音と、私の痛がる様子を見て、 「ごめんごめん、ボキボキ言っちゃったね~」と、笑顔の先生。
「こ・・・こいつ・・・」と、私の心の中は、文字で表現することのできないほど、ブラックホールよりも深い闇に埋め尽くされるのでした。

絶対に忘れない、この屈辱。
カノッサの屈辱。

入院病棟への移動

この記事の一つ前で記載しましたが、シーネという固定具で脚を固定してもらい、三角枕で脚に角度をつけて痛みがそこそこ落ち着いた状態で、入院、つまり病棟へ移動ということになりました。
救急窓口から病棟のナースセンターへ電話をし、患者一名入院という報告を行っていました。

「患者一名、A棟入りまーす!」と居酒屋の店員のごとくに、声を上げてはいなかったけれど、それと同じような感じで「一名入院、上に上がりますので、お願いします」というような会話があり、電話口からきっと『松葉杖ですか?』というような質問でも上がったのでしょう。

松葉で歩けるような状態じゃないよ、ベッドごと!というような返答を返していました。
ベッドで病室に入院する直前、救急に入ってから、数時間経ったこの時点で、ようやく家族とも顔を合わせることができました。

申し訳ないやら、情けないやらなんやら、様々な感情が渦巻く中で、妻にごめんねという声をかけたのだろうと思います。
渦巻く心境は思い出せるけれど、何を話していたかは全く覚えていません。

兎に角、入院病棟の看護士さんが数名着て、救急対応の方とも一緒にベッドごと救急の窓口から運ばれて、家族もその後に付いてきてくれて、病室に移動をしました。

病室に入る際に「●●さんです、よろしくお願いしまーす!」という掛け声が上がり、妻がよろしくお願いしますという声を上げつつ、ともに病室に移動してきました。
その後、病室においてあるベッドに移動するため、ベッドの下に敷いてあるシーツを引っ張り、体をスライドしてどうにか病室のベッドに収まりました。

そして、移動の際に右脚の下に敷いていた三角枕は、病室のものではないということで、回収されてしまい、その時にまた痛みが生じることになりました。
代わりに設置された、脚の下に置く大き目の枕が三角枕よりも痛みが生じてしまい、またここで意気消沈するのでした。

ベッドと、脚の枕が設置されていた後は、入院着に着替えるというイベントです。
また、脚を動かすのかと辟易しましたが、上半身は動かしても痛みが生じることがなく、すんなりと着替えは完了しました。

下半身は、なんと脚の両サイドにボタンがあるタイプのズボンがあり、少しおしりを上げるという動作だけで、履かせてもらうことができたため、とても気持ちが楽になりました。

その後は、少し落ち着きはしたものの、放心状態に毛が生えた程度の思考能力しかなく、入院・手術の説明を受けた妻に、会社への連絡をお願いしておいたため、その報告を受けたことと、今後どういう流れになるのかといった話を少ししながら、なんとなく時間が過ぎていったように思います。

斯くして、入院生活の始まり、始まり。

レントゲンを撮った後、妻と娘が先生から説明を受けた際、「入院になります」という旨を告げられたらしく、妻は『このままですか!?』と聞き返したそうです。
それに対しての医師からの返答は、「あの状態で連れて帰れる?」
当然、妻は、立ち上がれもしない、痛みでしゃべることもままならない私の姿を思いうかべたことでしょう。『・・・無理です』というやりとりがあったと、後日聞かされました。

そんな訳で、入院生活が始まったわけですが、奇しくも同じ日に右足を骨折した、年齢がちょっと上の大先輩Nさんが私のベッドの前に夕方~夜くらいになり、入院をしてきました。
同じく、着替えのイベントがあり、痛みが生じていたのか、本人曰く「痛い痛いと叫んでいた」らしいのですが、私は本当に放心していたのか、その時の記憶が全くありませんでした。

とりあえず今後の予定については、主治医が決まり次第、入院と手術についての説明がなされるだろうということ。
入院した日(8/17)は、主治医が決まっていないので、話はできないということ。
明日以降になれば、分かってくることも多いだろうということ。

あまり努めず考えないようにしていましたが、入院が初めてだったこともあり、これからの事を考えるだけで、不安が襲い掛かってきました。
入院はいつまでなのか、術後はどうなるのか、仕事の復帰は、今後の生活。

でも、今回とても助かったことは、助けてくれるべきパートナーがいたということ、家族がいたということです。

この入院生活を通じて、家族とのかかわり方、仕事への取り組み方、今後の目標など、様々なことを振り返り、考えるいい機会ととらえて、時間を無駄にしないようにしなければならないという気持ちを持つことができたらいいなと、ショックを受けた心で、多少なりとも考えたのでした。

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