
第弐話「見知らぬ、天井」
第三新東京市で、初めてエヴァに乗り、第3使徒サキエルと戦い、目を覚ました碇シンジ君が放った一言のように、「知らない天井だ」と声に出してみるものの、虚しさが残っただけでした。
病院のベッドから見た天井は、自宅の天井とは全く違うものでした。
入院初日となった8/17、一日の始まりは楽しい時間でした。
着替えを用意し、寝坊する娘を起こし、残り少ない家族団らんの夏休みだったはずなのに、楽しい時間はアッと言う間に暗闇に・・・。どん底の気持ちからスタートする入院生活の始まりです。
ほんの一瞬のケガが、まさか車いすも、松葉杖での移動も不可能な、ベッドで寝たきりになる状態になるとは思ってもみませんでした。
寝返りも打てず、見ることが出来る景色は顔を動かす範囲のみ。
そして、冒頭のセリフに行きつくのでした。
口がきけなくなった中2の愛娘
奇しくも、エヴァを操縦できるという14歳になろうという、中2の娘がいる私。
(ここまでくればエヴァネタを引っ張っていくことにした。)
だから何だと言われたらそれまでの話ですが、私が骨折というケガをしたと認識してから、言葉を発していません。
これから、入院生活が始まるということで、家庭の中で一番気になるのが、妻と娘の生活です。
思春期を迎えた娘は、何かと妻とぶつかることが多いため、二人きりの時間を過ごしても大丈夫なのかという心配が生まれてきました。
ショックで話ができない娘に、妻を助けてあげてほしいということ、家を守る手伝いをしてほしい。
こういうことを起こしてしまった私がお願いをするのは、本当に心苦しいのですが、それをお願いせざるを得ない現状をどうにか理解してほしいと思って、お願いをしました。
返事もできず、ただただ無表情に、頷くだけの娘。
この時点で、娘の気持ちには気づいてあげることができず、ただただ、お願いをするのみでした。
関係各所への連絡係を務めてくれた妻
ベッドから起き上がることもできず、電話ができるスペースへの移動もかなわない状況。
妻には、職場への連絡はお願いをしておりましたが、それに加えて私の父への連絡、そして妻のおかあさんへも連絡をしてくれていました。
どの程度の骨折をしたのか、正確な状態は、この時点では当事者たる私も含め、だれも分かっていないという中で、それでも現在わかっている状態を伝えてくれて、とても感謝しました。
会社からは、「ちゃんと治してください」という伝言を受け取り、私からも同じ課のメンバーに、伝えられることはメールで伝えておくという最低限の動きはとることができました。
入院初日となったこの日にできることは、少なくともできたかなという状態になり、そこでようやく少し、ほんの少しだけ、ホッとすることができたのでした。
そのうち私は考えるのをやめた
そのうち、●●は考えるのをやめた 出典:ジョジョ2部
そこからは何を話したか、余り覚えてはいない物の、思い出すだけで身の毛がよだつ記憶を遠巻きに、色々と話をしたのだと思います。
記憶が混濁しているの確かではないのですが、その日、妻は一旦家に帰り、入院に必要なものをある程度揃えてくれてもう一度、面会に来てくれたような気がします。
後日、家族に確認したところ、やはり一旦、家に戻ってから再度、飲み物やストローなどを購入して持ってきてくれていたそうです。
一旦家族が帰ったという午後6時、初入院で初食事が出ました。
起き上がるのが不自由だろうということで、ご飯をおにぎりにしてくださるという心配りがありました。
朝から大した物を食べていなかったにも関わらず、痛みと精神的ショックの影響からか、全くお腹が空かなかったのですが、それでも何か入れておかなければならないという意地に似た気持ちが働き、主食を抜かして辛うじて副菜だけは食べることができました。
時間的には、面会時間ギリギリだったのでしょう。
一旦帰った家族が色々なものを持ってきてくれて、その後、面会時間が終わり帰宅していったんだろうと思います。
家族が帰ってからの時間は、永遠とも思われるような長いものだったような気がします。
病院の夜は長く、9時には消灯となりました。
気を紛らわせようとスマホを持つも、何をしても頭の中には今日の出来事と今後の出来事がグルグルと回るのみ。
脳は本日の出来事を、夜のニュースのように「今日のハイライトです」と流し続けました。
考えないようにする→考えてしまう→考えないようにする→考えてしまう。
考えれば考えるだけ、抜け出せない負のスパイラルに突入するだけだなと、見知らぬ天井をみながら、そのうち私は、考えるのをやめました。