待ちに待ったアトラクション(?)の名は「観血的整復手術」
私が派手に骨折したのは、祖母の命日(十三回忌)である8月17日(その前々々日にお墓参り行った!)。
そして、そこから天井を眺めること、実に11日間・・・。
手術の日が、8/28と決定しました。
手術の日は、 奇しくも愛犬トリッシュの命日です。(三回忌)
祖母と、愛犬の命日が僕のケガにかかわってくるとは、全く思っていなかったです。
もう二度と忘れることはないでしょう。。。アフゥ
さて、オペ日が決まるまでの間は、本当に苦行でしたし、苦痛でした。
入院9日目の回診で、ようやく手術の日程が仮決定から、本決まりとなったのです。
正直なところ、もう仮決定の時点で履行されるものとは思っていましたが、お医者さんって可能性がある限り断言しないじゃないですか?
でも、最悪なのは、最後の最後で患部に水疱ができてしまう事だったので、それだけがなくて本当に良かったと思っていました。(※最終的に、患部に近いところには水疱がありましたが・・。)
兎に角、回診時に「これなら水曜日に手術できるな!」と言われ、ひゃっほー!というジェスチャーをした私は、『何時からですか?』と詳細を詰めておくことにも余念はありません。
先生からは、「午後一番だな」という回答をきちんといただきました。
これでようやく、関係各所にはちゃんとしたオペ日の報告ができると喜び勇みましたとも。
そういえば、入院数日で娘から「パパは手術怖くないの?」と聞かれたのですが、『手術が終わった後は、治るだけだから、早く手術してほしいくらいだよ』というやり取りがあったという事をふと思い出しました。
同じ日に入院して、同じく脚を牽引していたOさんが、私より早く手術をされ、術後も全く痛くないという状態だったらしいので、私も手術後は全く痛くないものだと信じていたので、いち早く手術がしたいと希望していたわけでございます。
事前に手術内容の説明がなされており、同意書にはサイン済み。
手術の内容については、事前に主治医より説明がありました。
レントゲンとMRIの映像を元に、カンファレンスルームという、病室とは別の個室にて話をするということでした。
もちろん、わたしは足を牽引したままだったため、個別の移動を行うことはできず、ベッドごと私が通りますよ~!というイベントが発生しました。
手術の説明は、妻と一緒にされた方がいいだろうという事で、面会時間ではない午前中に、時間を作ってもらい、この手術の目的と、行う処置の内容、後遺症・合併症・感染症などの危険性、死に至ることもあるというような怖い一文までも踏まえたうえで、同意書にサインを致しました。
手術の説明をされているときに、MRIの映像を見ながら説明を受けたのですが、それが何とも物凄い画になっておりました。
そのうち、絵で表現できればと思っていますが、本当にこんな折れ方をしていたんだ・・・というくらいの折れっぷりでした。
手術は、ORIFと呼ばれる、観血的整復(かんけつてきせいふく)と内固定という読み方の難しい術式で行われるということで、いわゆる、骨折箇所を切開して骨を固定して治すという方法をとります。
出血させない様に血流を止めるため、術後、痺れた状態になるという説明とともに、手術の危険性として、合併症・感染症・間接の変形や、輸血が必要になる可能性もあるということを説明されました。
手術時間は、三時間半~四時間位を見込んでいることと、太股を加圧し血流を止めるという方法をとるけれど、あまり長時間血流を止めると危険なので、二時間たった時点で一旦、コーヒーブレイク休憩を挟み加圧を解除して、休憩終了後に再び、加圧して手術を再開するという内容の説明を受けました。
また、陥没したプラトー(高原)の骨を引き上げ、動かした隙間に人工骨(ハイドロキシアパタイト)を埋め込むこと、完全に折れてしまい、頸骨と離れて後方に向いてしまっている膝の骨と頸骨を合わせ、プレート二枚ではさみ込むように止めると説明していただきました。
「難しい手術となります」という一言も添えていただきました。
という様に、様々な説明を受けた後に、同意書にサインをして、カンファレンスは完了。
やはりちょっと怖いかなと思ったものの、手術を受けなければ何にも始まらないということを常々思っていたため、早くしてほしいという気持ちには変わりはありませんでした。
事前の説明を受け、少しビビったところはあった物の、やはり手術の日程がきまると安堵の気持ちが出てきました。麻酔を打てば、一瞬で意識がなくなるというのは、同室で手術を先に受けていた先輩?から聞いていたので、手術はアトラクションだ!と、半ばヤケクソのような気持ちで、思いこんだのでありました。